2021年9月26日日曜日

写真展

 


 タイトルというより、日曜美術館というEテレに紹介された写真家の番組を見ていて目にした一枚の写真に興味を惹かれる。雪の中に横たわる鹿の死骸を半年間ほどかけて、その移り変わりを自動シャッターカメラで撮ったシーンである。

その屍が森の動物たちにより骨になり、最後は土にかえる。
その写真家の前に、コマーシャル・アート分野のデザインの通信教育を学んでいた当時のヒーローの一人だった、横尾忠則という画家のメイン番組があり、仕事をしながら視聴ブラウズしていた途中、二十代の頃に自分の死を強烈に表現した時代の絵が紹介され、健在なのに遺作品を描き上げた初耳の話しがあった。

同じ早朝、檀家の和尚に今週都合の良い時、相談もあって会いたしとのメッセージを送っていたり、その前には、来月予定の役員会への出欠ハガキをポストに出してきたりで、人生のあれこれを考えさせる一連の時間が目の前を走り去る日曜の朝でもあった。

午後からは、東京に住む、道内を旅行中の甥っ子が立ち寄る予定で、彼の父親の葬儀にはコロナ禍で参列(家族葬)せず、一周忌の供物を送り届けたばかり。先に控える諸々の人生イベントのすり合わせを、年代差を超えて話し合う必要もあろうかと考えている。

一般に捉えられる「デザイン」の話とは違いそうだが、最終作品に行き着く途中に、各自の人生観や考え方、環境など、ベースになる思考の模索もデザインの一部と思っていますので。

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