2007年7月11日水曜日

ALTOからMac そして iPhone



Mac128kの画面にHyperCardの「ホーム」がある。マックの発売当初から現在のiPhoneを予感させる方向性は打ち出されていた。Hypercardの操作そのものが、後のPDAのような情報携帯端末を想定していた。90年代のペンタッチ方式のMagicCapPalmTop時代を経て、現在の形に行き着いたと思う。 7/11

MagicCapのジェネラルマジック社とはNTTも一時期提携した時期がある。残念にもそれが広まることなく終わったが、インターネット時代が広まる以前でもあり、環境がまだ整っていなかったせいかも。7/12



こちらは1973年に誕生したウインドウやマウスで操作するゼロックス・アルトの2世代目。この開発メンバーの主要な何人かが70年代後半にアップルに移り、マック開発に大きな影響を与えたと言われる。70年当初からiPhoneに連なる目標はすでにあり、アラン・ケイの「ダイナブックコンセプト」の当座のマシーンとして、このアルトが産み出された。7/13


アルトの開発はゼロックスのパルアルト研究所で始まりメンバーのその何人かは現在マイクロソフト社にもいるようです。 7/14

2 件のコメント:

inacafe さんのコメント...

アラン・ケイとDynabook
1960年代後半ユタ大学の博士過程でコンピュータ科学を専攻していたアラン・ケイは、あらゆる年齢層の人間一人一人が使いこなす個人向けコンピュータの理想的姿を"Dynabook"と名づけたイメージに纏め上げた。具体的には、大きさと形は、通常のノート程度。キーボードと平面型のディスプレイを備え、その解像度は最低限新聞印刷並み。音も通常のオーディオ装置のレベルをクリアし、ユーザが操作して反応が遅れて返ってきてはならないというリアルタイム性を実現するものである。
彼は、博士課程終了後、スタンフォード大学の人工知能研究所を経て、1970年ゼッロクスが新設したパロアルト研究所に移り、ここでミニコンを暫定版の "Dynabook"のハードウェアに見立て、その実現に努力し、この作業を通じマウスによる操作方式やアイコンと呼ばれる絵文字を用いた表示方式を開発した。この技術はその後、アップルコンピュータのリサに全面的に採用され、マッキントッシュによって広く普及された。

匿名 さんのコメント...

http://toastytech.com/guis/gem11.html に
過去のGUI OSの様子が紹介されています。