2023年10月8日日曜日

芸術と芸術祭とデザイン


 

いまさっき、各地の芸術祭の案内を目にし、文化庁が発する芸術祭のページと、「芸術」そのものの意味を述べるWikipediaの解説に目を通してみると、「よい技術、美しい技術」ていどの意味だったとあり、現代の拡大解釈の現状を見直すのもありかと。

最近は、芸術と聞いて、何か特別のもの、という捉え方をしてしまいそうだが、その個々の価値を決めるのは人間であり、差異を背景にした利権も伴うし、イベント自体にも費用はかかる。

資本主義の世界にある人々にとって、無用の価値というか、ある特定の組織なりグループの利権を求め稼ぎ出す行為の結果、例えば、ノーベル賞のように、どう考えても人類社会全般にとって価値のある業績でもない人が、?と首を傾げる受賞が目立ち始め、今回のように、茶番にすぎないコロナのワクチン開発に業績?があった者に賞が与わると、すでに賞そのものの評価に疑問を感じる。

同様に、「芸術」などと大風呂敷を広げてみても、社会全般にとっては見向きもされない、無価値な表現、単なる「他と違う」だけの独りよがりな時代に突入してる感がする。

便器が芸術、というニュースや記事を目にした人もいると思いますが、メディアに取り上げられ話題作りで儲けを得る行為では、バイトを使ってタレントやストを盛り上げる、作られた「評判」に騙され、意味もわからず現場に足を運ぶ劣った人にだけはなりたくないものだ!

デザインという言葉一つにしても、日本はいまだ色とか形態ていどの解釈が主流だと思うが、世界では、都市計画とか自動運転車と道路形態など、より広範囲な分野まで視野に入れて教えている気がする。

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