2008年2月16日土曜日

「デザイン」について

「デザイン」という言葉の意味は、日本では違った風にとらえられていると思う。最近、中国では「策略」という字が当てられ始めたようで、まさに的を射た言葉だと思います。アップルとも関わったことがあるデザイナーの川崎和男さんはこれだけで日本は中国に負けたと言っています。日本ではコンピューター、ワープロ、計算機、パソコンなど、様々な分類に分けられてきた経緯がある「PC」ですが、こちらも中国では「電脳」と表記され混乱する日本と違い誤解が少ない表現と思われます。

中国や欧米なら携帯電話は「電脳」や「PC」を搭載した電話機として認識しているようだが、日本は「コンピューター、ワープロ、計算機、パソコン」のどれが搭載されたケイタイかでなく、別枠の道具として認識している。

自分は長く「Mac」を愛用していますが、多くは「デザイン=策略」のために使うことが主です。単に絵を描くとか書類を作成とかではなく、仕事上の策略を練るためのファイルが蓄積されている。前回池田満寿夫展の紹介をしましたが、彼は自分の表現をキャンバス以外に出版や焼き物、映画など、幅広く手がけた人でもあり、様々な分野に興味を示し実現してきた人でもあります。

歴史的に、日本ではファッション関係から「デザイン」という言葉が使われ始めたようで、そのせいで多くの誤解が蔓延したように聞き及びます。形とか色とかといった狭い範囲の言葉として理解したせいで、「策略」などといった「デ・サイン」の奥にある本来的な意味はとうてい考えも及ばなかったと思う。世界共通語として「デザイン」を使うためには、影響の大きい教育現場やマスコミ分野において変化しなければ、これからの若い人たちに伝えることはできない。

基本的にケイタイもコンピューター内蔵の機器ですが、パソコンはもちろん、ケイタイの進むべき姿を知らずにNTTやメーカーの「デザイン=造形or意匠」にだまされ無駄な投資を続けているように思えます。日本の携帯産業が世界に先駆けたものというなら、iPhoneライクなケイタイがなぜ日本から生まれなかったのでしょう。結局外観だけの造形はよくても、使い勝手、例えば、数字キーで文字を打つ不自然さには気づいていないのか、ソフト的なデザインはケイタイ用OSも含め自慢すべきものは見あたらない。

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